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次の白河の母も摂関家ではない

閑院流出身で中納言藤原公成の娘、春宮大夫藤原能信の養女である女御藤原茂子であったため、白河は、関白を置いたが後三条と同様に親政を行った。白河は応徳3年(1086年)に当時8歳の善仁皇子(堀河天皇)へ譲位し太上天皇(上皇)となったが、幼帝を後見するため白川院と称して、引き続き政務に当たった。一般的にはこ..
update:2009年09月12日
【今日の言霊】
・人生は自分の手でつかむのです。恋も同じです。 by映画『麗しのサブリナ』